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翻訳アプリがあれば英語はいらない? テクノロジーが揺さぶる、アメリカ日本人コミュニティの「ことばの絆」

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翻訳アプリがあれば英語はいらない? テクノロジーが揺さぶる、アメリカ日本人コミュニティの「ことばの絆」

スマホ一台で「なんとかなる」時代

ロサンゼルスに移住して3年目になるサエさん(32歳)は、英会話スクールに通ったことが一度もない。病院の受付も、子どもの学校の個人面談も、近所のスーパーでのやりとりも——すべてGoogle翻訳やChatGPTを使いこなすことで乗り越えてきた。「最初は不安だったけど、今は正直、英語を本格的に勉強する必要性をあまり感じていないんです」と彼女は少し苦笑いしながら言う。

リアルタイム音声翻訳の精度が飛躍的に上がったここ数年、アメリカで暮らす日本人の「英語との付き合い方」が大きく変わりつつある。かつては移住直後の洗礼として誰もが経験した「ことばの壁」が、テクノロジーによってほぼ消えかけている。それは間違いなく便利なことだ。でも、その便利さが別の何かを少しずつ削り取っているとしたら?

「ことばの苦労」が育てたもの

20年前にシカゴへ渡ったケンジさん(54歳)は、当時を振り返ってこう語る。「辞書を片手に、間違えながら、恥をかきながら英語を覚えた。そのプロセスで、アメリカ人の友人ができて、近所との関係ができて、この街が『自分の場所』になっていった気がする」。

彼が言うのは、単なる懐古趣味ではない。ことばを学ぶ過程には、文化的な文脈や人間関係の構築が自然に組み込まれているという指摘だ。言語習得の研究者たちも長年指摘してきたことだが、ことばは単なるコミュニケーションツールではなく、コミュニティへの「参加証」でもある。

ニューヨーク市内の日本語補習校で15年以上教えるミチコ先生は、最近の変化を肌で感じているひとりだ。「以前は保護者の方々も『子どもに英語を覚えさせなきゃ』と必死だった。でも最近は、翻訳アプリを使えばいいからと、英語学習への意欲が保護者側で下がっているように見えることがある。それが子どもたちの姿勢にも影響しているんです」。

コミュニティ内に生まれた「静かな格差」

問題はアメリカ社会との関係だけではない。日本人コミュニティの内側にも、見えにくい分断が生まれているという声がある。

サンフランシスコ・ベイエリアで日本人向けのコミュニティイベントを運営するユカさんは、参加者層の変化を感じている。「英語ができるかどうかで、イベントの参加のしやすさが変わってきている。翻訳アプリに頼り切っている新しい移住者と、英語で地域に溶け込んでいる長年の在住者との間に、微妙な温度差がある」と彼女は言う。

長期在住者の中には、「翻訳アプリがあるから英語を学ばなくていい、という考え方は危うい」と感じる人も少なくない。一方で、新しい移住者からは「英語が流暢でなくても、自分の意見をきちんと伝えられるなら、それでいいじゃないか」という声も上がる。どちらの言い分にも、それぞれの経験に根ざしたリアルがある。

テクノロジーが「奪う」もの、「もたらす」もの

公平に見れば、翻訳テクノロジーの恩恵は計り知れない。英語が得意でないために医療情報を誤解したり、法的な手続きで不利な立場に置かれたりするリスクを大幅に減らせる。高齢の移民や、英語学習に割く時間的・経済的余裕のない人たちにとって、翻訳アプリは文字通り「命綱」になり得る。

「ことばの壁がなくなることで、より多くの人がアメリカでの生活にアクセスできるようになる。それは社会的な公平性という意味で、とても重要なことだと思う」と語るのは、移民支援NPOでケースワーカーとして働くアキラさんだ。彼は日々、英語の壁に苦しむ人たちと向き合っている。

その一方で、彼自身も「翻訳が介在することで、会話が一歩引いたものになる感覚がある」とも認める。画面を通したやりとりには、どこかワンクッションある。笑いのタイミングがずれる。感情のニュアンスが削れる。それは些細なことのようで、関係の深さに影響してくる。

「巡り」の視点から——ことばは旅である

このサイト「巡り」が大切にしているのは、人や文化がめぐり、出会い、変わっていくプロセスそのものだ。ことばも同じで、学ぶプロセスの中に出会いがあり、失敗があり、笑いがある。翻訳アプリはその「旅」の一部を省略してくれるが、省略されたところに何があったかは、経験した人にしかわからない。

ロサンゼルスのサエさんは最近、少しだけ考えが変わってきたと話してくれた。「子どもが学校でできた友達のお母さんと話す機会があって、翻訳アプリ越しじゃなくて、直接ちゃんと話したいと思った。うまく言えなくてもいいから、自分の言葉で。そう思ったのは初めてでした」。

テクノロジーは確かに、ことばの壁を低くしてくれた。でもその壁を自分の足で越えようとするとき、見える景色はまた違う。アプリが翻訳できるのはことばだけで、その奥にある「気持ちで踏み出す一歩」は、今もまだ、自分自身のものだ。

問いは続く

翻訳テクノロジーは進化し続け、これからもアメリカの日本人コミュニティのあり方を変えていくだろう。大切なのは、便利さに流されながらも、「何のためにことばを学ぶのか」「誰とつながりたいのか」という問いを持ち続けることかもしれない。

正解はひとつじゃない。アプリを使い倒しながらも英語を学ぶ人もいれば、あえてアプリを手放して飛び込む人もいる。それぞれの「巡り方」が、それぞれのアメリカをつくっていく。

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