モーテルの看板に「YAMATO」と書いてあった:地図に載らない日本を巡る、6,000キロのルート
Photo: Yoshi Canopus, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
I-80を西へ、そして南へ。レンタカーの走行距離は6,000キロを超えた。観光ガイドに載るような場所には、ほとんど寄らなかった。この旅の目的はただひとつ、「アメリカの道端に潜む日本」を探すこと。その結果見つかったのは、どんなガイドブックにも載っていない、でも確かに存在する日本文化の小さな拠点たちだった。
ネバダ州の砂漠に、なぜ禅寺が
最初の驚きはネバダ州リノから車で一時間ほどの山あいだった。乾いた松の林の中に、木の鳥居を模した門が立っている。禅寺だ。住職はアメリカ人で、日本語は片言だが、坐禅の所作は完璧だった。
「ここに来る人は、禅を求めて来るんじゃない。静けさを求めて来るんです」と住職は笑う。週末にはサンフランシスコやラスベガスから人が集まり、座禅会のあとは茶道の体験もあるという。参加者の半分以上は日本と縁のないアメリカ人だ。
砂漠と禅。本来つながらないはずの二つが、ここでは自然につながっていた。日本文化は「正しい形」でなくても、土に根を下ろせるのだ。
モーテル経営50年、日系家族の看板
ユタ州の小さな町。ハイウェイ沿いのモーテルの看板に「YAMATO MOTEL」と書いてあった。オーナーは三代目の日系アメリカ人、山本さん(仮名)。
「祖父が戦後、西海岸からここに来て、モーテルを始めたんです。最初は日本語しか話せなくて」
フロントには達磨の置物と、孫の野球のトロフィーが並ぶ。朝食には、ごく薄く味付けしたお漬物が「ゲスト用のひと品」として出されることもあるそうだ。「日本人の旅人が泊まると、みんなそれに気づいて、ちょっと泣きそうな顔をするんですよ」
アメリカの日系コミュニティ史の中で、モーテルやホテル経営は重要な役割を果たしてきた。土地を買えなかった時代、宿泊業は数少ない選択肢のひとつだった。ハイウェイ沿いの無名のモーテルの中に、実は家族三代の歴史が眠っている。
郡のフェアで、たこ焼きを焼く人
アイオワ州の郡フェア(County Fair)。フライドバターとレモネードの屋台が立ち並ぶ、いかにもアメリカなこの催しの中で、ひとつだけ異彩を放つ屋台があった。「TAKOYAKI」の旗。店主の田中さん(仮名)は大阪出身で、20年前に農場勤務で渡米した。
「最初は変な目で見られましたよ。丸くて、ぐちゃぐちゃで、生焼けじゃないかと」
いまではフェアの常連で、地元の客は「あの丸いやつ」を普通に注文する。ソースはバーベキューソースとウスターシャーのブレンド、トッピングにチーズを足す「アイオワ風」も開発したという。「日本食を売っているというより、私の故郷を売っているんです」
巡りのルート、ここにおいておきます
この旅で出会った場所を、読者向けに「巡りのルート」として整理しておきたい。
- 砂漠の禅寺(ネバダ州):週末の坐禅会は事前予約制。宿坊はないが、近隣の町のモーテルで泊まれる。
- 日系モーテル群(ユタ〜コロラド州のハイウェイ沿い):看板に日本語の名前があれば、立ち寄ってみる価値あり。オーナーとの会話が最高の観光になる。
- 州・郡のフェア(中西部各地、夏〜秋):屋台一覧を事前にチェック。「日本」関連の出店があれば、そこが小さな出会いの入口だ。
大切なのは、目的地を決めすぎないこと。「日本があるはずの場所」ではなく、「日本に遭遇するかもしれない道」を選ぶ。それが「巡り」の旅の作法だ。
地図に載らないものを、地図に載せる
ガソリンスタンドの店員に「この近くで日本と関係ある場所は?」と聞いたとき、相手は少し黙ってから言った。「古いモーテルがひとつあったけど、もう潰れたかな」
潰れたのか、残っているのか、わからない。それでも車を走らせた。こういう旅では、見つかることより、探し続けること自体が目的になっていく。
アメリカは広い。広すぎて、日本文化の痕跡は点在し、地図には載らない。でも、ハンドルを握って回り続ければ、砂漠に禅寺があり、フェアにたこ焼きがあり、モーテルに三代の歴史がある。次の連休、どこか遠くへ行きたくなったら、ぜひこの「巡りのルート」を試してほしい。あなたの街の近くにも、たぶん、載っていない日本がある。