根を張らない自由:アメリカ大陸を「住みながら旅する」日本人たちの新しい地図
Photo by Photo by Joe Lavigne on Unsplash on Unsplash
「どこに住んでいるの?」に答えられない人たち
サンフランシスコのコワーキングスペースで出会った田中あかりさん(32歳・仮名)は、「今どこに住んでいるか」という質問に、少し間を置いてから笑った。
「今月はここ、来月はポートランドに移る予定です。冬はアリゾナかな、って感じで」
彼女は東京のIT企業を辞め、フルリモートのフリーランスデザイナーとして3年前からアメリカ各地を転々としている。住民票もなければ、長期リースの部屋もない。Airbnbとサブレット(短期転貸)を組み合わせながら、1〜3ヶ月単位で拠点を動かし続けている。
「最初は不安でした。でもやってみたら、一箇所に縛られないことがこんなに自由だとは思わなかった」
こうした「移動する暮らし」を実践する日本人は、ここ数年でじわじわと増えている。パンデミック以降に広がったリモートワーク文化が、地理的な制約を取り払った。その恩恵を最も柔軟に活かしているのが、日本人フリーランサーやリモート就労者たちだ。
「季節ごとに引っ越す」という感覚
ニューヨーク、シアトル、オースティン、デンバー——彼らが選ぶ街は多様だ。ただ、行き先を決める基準が面白い。観光地としての魅力だけでなく、「日本語コミュニティが存在するか」という点が大きな選択肢になっているという。
ロサンゼルスで日本語のミートアップグループを主催する松本健二さん(38歳・仮名)は、こう話す。
「うちのグループには、毎月のように『初めまして、最近来ました』って人が現れます。3ヶ月だけいる人、半年いる人。定住者と流動者が混ざっていて、それが逆にコミュニティを活性化させているんです」
以前は、移住者コミュニティというのは「根を張った人たち」が中心だった。会社の駐在員か、グリーンカードを持つ永住者か。しかし今は、ビザの状況も多様で、ワーキングホリデーや観光ビザ、あるいはE-3やO-1など専門職ビザで短中期滞在する人も増えた。彼らが「一時的な住人」として各地のコミュニティに溶け込み、去り、また別の街で新しいつながりを作る。
それはまるで、水が流れながら地形を変えていくようなイメージだ。
デジタルノマドという言葉の「その先」
デジタルノマドという言葉は、すでに広く知られるようになった。ラップトップ一台でどこでも働ける人たちのことを指す。しかし実際にアメリカで移動しながら暮らす日本人たちの話を聞くと、彼らの動機は「自由な働き方」だけではないことがわかる。
「アメリカという国を、点ではなく面として知りたかった」と語るのは、テキサス州オースティンに3ヶ月滞在中の山口えりさん(29歳・仮名)だ。「ニューヨークだけ、LAだけを知っているのと、色々な地域を実際に暮らしてみるのとでは、全然違う。食べ物も、人の雰囲気も、日本人との距離感も、街によって全く異なる」
彼女が言う「日本人との距離感」は、実は移動する暮らしにおいて意外と重要なポイントだ。日系人コミュニティが根強いハワイやロサンゼルスと、日本人がほとんどいないミネアポリスやナッシュビルでは、「日本人であること」の意味が変わってくる。それを体感して回ることに、知的な面白さを感じる人も多い。
「巡る」ことで見えてくるもの
定住しない暮らしには、もちろん課題もある。
郵便物の受け取り、銀行口座の維持、健康保険の問題——アメリカの生活インフラは「住所」を前提に設計されていることが多い。特に医療費の高いアメリカで、保険をどう確保するかは切実な問題だ。
また、深いつながりを築きにくいという声もある。「3ヶ月ごとに環境が変わると、友人関係がどうしても浅くなる」と正直に話す人もいた。移動する自由と、根付くことで生まれる安心感は、トレードオフの関係にある。
それでも、この暮らし方を続けている人たちに共通しているのは、「今この時期だからこそできる」という感覚だ。子どもができたら、年齢が上がったら、ビザの状況が変わったら——そのときはまた別の形を選べばいい。今は動ける時期に、動ける範囲で、できるだけ多くの「ここ」を知っておきたい。
田中さんはこう言った。「根を張らないことが、根なし草ということじゃないと思うんです。どこに行っても、少しずつ根を伸ばして、また次の土へ。それが積み重なって、自分という人間の土台になる気がする」
「巡り」が生む、新しいコミュニティの形
面白いのは、こうした移動する日本人たちが、各地のコミュニティに「風」を持ち込んでいることだ。
東京の最新トレンド、他の都市で見つけた日本食レストランの情報、日本語学習者との交流——彼らは移動するたびに情報と人脈を運ぶ、一種の「文化の流通者」になっている。
ポートランドの日本語コミュニティで知り合ったという二人が、後にデンバーで再会する。シアトルで出会った人の紹介で、オースティンの仕事が決まる。移動する人たちのネットワークは、地図上の点と点を結ぶ線になり、やがてアメリカ全土に広がる「見えない地図」を描いていく。
これはもしかすると、昔の日本の「巡礼」文化に近いものかもしれない。お遍路さんが88箇所を巡ることで自分自身と向き合うように、アメリカを移動しながら暮らす人たちは、各地の土地と人と文化に触れることで、「自分がどこで、どう生きたいか」を問い続けている。
一箇所に留まらないことは、逃げることでも、迷っていることでもない。巡ることそのものが、一つの答えなのかもしれない。
あなたはアメリカのどの街に「巡り」着いていますか? 移動する暮らしの体験談、ぜひ 巡り/Meguri のSNSで教えてください。