巡り / Meguri All articles
カルチャー

週末の教室で、何を守るのか:日本語補習校に揺れる親たちのリアル

巡り / Meguri
週末の教室で、何を守るのか:日本語補習校に揺れる親たちのリアル

Photo: Francis Stewart, Public domain, via Wikimedia Commons

土曜の朝、教室に空席が増えている

東海岸のある都市の郊外。毎週土曜日の朝、地元の公立学校の校舎を借りて開かれる日本語補習校の教室に、数年前と比べて明らかに子どもの数が減った。校長を務める田中さん(仮名)は、「ピーク時は200人以上いた生徒が、今は130人を切っています」と話す。運営費の大半を授業料でまかなうこの学校にとって、登録者数の減少は経営の問題でもある。

全米日本語教育振興協議会のデータによれば、アメリカ国内の日本語補習校への在籍者数はここ10年で緩やかな減少傾向にある。コロナ禍を経て一時オンライン授業に移行した学校も多く、その流れの中で「そのままオンラインで十分」と判断した家庭が離れていったケースも少なくない。

でも、問題はそれだけじゃない。もっと根っこのところで、「なぜ子どもに日本語を学ばせるのか」という問いに、親たちが答えを出しにくくなっているのかもしれない。

「日本語、本当に必要?」という問い

カリフォルニア州在住のRikaさんは、10歳の娘を補習校に通わせて3年になる。「最初は私が日本語話者だから、娘にも話せるようになってほしいって思ってた。でも最近、娘から『なんで土曜日に学校行かなきゃいけないの?』って聞かれるようになって、正直、うまく答えられなくて」と苦笑いする。

英語が第一言語として育つ子どもにとって、週に一度の日本語の授業は「義務」として映りやすい。友達と遊ぶ時間、スポーツの練習、あるいはゆっくり休む時間——土曜日には競合する選択肢がたくさんある。親が「文化的なつながりのために」と思っていても、子ども本人のモチベーションを維持するのは簡単ではない。

テキサス州ダラス近郊の補習校で20年以上教えてきた鈴木先生(仮名)は、「昔は親御さんが『日本に帰国する可能性があるから』という明確な理由で通わせていた。でも最近は、永住を前提にしている家庭が増えて、『なんとなく日本語も話せたらいいよね』という温度感になっている」と指摘する。目的が曖昧になると、続けることへの意欲も薄れやすい。

デジタルが変えた「学び方」の選択肢

スマートフォンとタブレットが当たり前になった今、日本語学習のツールは劇的に増えた。DuolingoやWanikaniといったアプリ、YouTubeの日本語チャンネル、オンライン家庭教師サービス——親の立場から見れば、「補習校に週一で通わせなくても、別の方法がある」という判断が生まれやすくなっている。

シアトルに住むKenjiさんは、息子の日本語学習をほぼオンラインに切り替えた一人だ。「補習校を辞めたのは、息子が嫌がったからだけじゃなくて、オンラインの先生と週2回マンツーマンでやった方が、実際に上達が早かったから」と話す。費用も補習校の授業料と大差ない、むしろ柔軟にスケジュールを組める点が助かっているという。

一方で、補習校の現場にいる先生たちが強調するのは、「言語だけじゃない部分」の価値だ。鈴木先生は「同じような背景を持つ子どもたちが集まって、日本語で会話して、一緒に行事をやる。あの場所でしか生まれない体験がある」と言う。運動会、書き初め、ひな祭り——補習校が提供するのは、教科書に載っていない文化的な記憶でもある。

「継承」の意味を、もう一度考える

言語学の世界では、移民家庭で育つ子どもが親の母語を学ぶケースを「継承言語(heritage language)」と呼ぶ。研究によれば、継承言語の習得には家庭での使用頻度が最も大きく影響し、週一の授業だけでは定着が難しいとされる。

Rikaさんはそのことを知ってから、家での過ごし方を少し変えた。「夕食の時間は日本語だけで話すルールにした。最初は娘も嫌がってたけど、今は割と自然にやれてる。補習校は続けてるけど、もう『学校任せ』じゃなくていいんだって気づいた」。

補習校の役割も、変わらざるを得ないのかもしれない。田中さんが校長を務める学校では今年から、保護者向けのワークショップを月一回開催している。「家庭でどう日本語環境を作るか、一緒に考える場にしたかった。学校だけで完結しようとするのは、もう現実的じゃない」。

アメリカで生きていく中で、日本語を「持ち続ける」ことの意味は、家庭ごとに違う。ビジネスのため、アイデンティティのため、おじいちゃんと話すため、あるいはただ好きな漫画を原語で読むため。どんな理由であれ、その言語が誰かの中に生き続けることが、継承の本質なのかもしれない。

土曜日の教室は、まだそこにある。少し空席が増えたとしても、集まる子どもたちの声は、変わらずにぎやかだ。

All Articles

Related Articles

「推し」はボーダーレス:アメリカで花開く、日本発ファンダムの新しいかたち

「推し」はボーダーレス:アメリカで花開く、日本発ファンダムの新しいかたち

ルーツをスクロールする世代:SNSが変えた、若い日系アメリカ人の「日本」との距離感

ルーツをスクロールする世代:SNSが変えた、若い日系アメリカ人の「日本」との距離感

「ここにしかない和食」を求めて:アメリカ各地で進化する日本料理の新潮流

「ここにしかない和食」を求めて:アメリカ各地で進化する日本料理の新潮流